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仏教の悟りと神道の古事記

仏教の悟りと神道の古事記を考えました。清風曼荼羅

先日、千葉中條塾の集まりがありました。その際に塾長から

「宗教と言うのは、宗(おおむね)の教えということで、

一番基本的なというようなことと考えます。つまり、

生とは何か、死とは何か、顕とは何か、幽とは何か、

という一番基本的なことを明らかにしていれば、

雄々と人生を生きられる、そのための教えということ

と解しています。」

 

御釈迦様の悟りを開かれた時の詩は

 『奇なるかな、奇なるかな、

一切の衆生ことごとく皆な

如来の智慧徳相を具有(ぐゆ)す。

ただ妄想執着あるがゆえに証得せず』


これはお釈迦様が悟りを開かれた後に発せられた言葉です。


「思いがけず素晴らしい事だ。

生きとし生けるものは皆な、

生き方というものを知っている。

ただ人間は自分の心に取り付かれ、

この世からの借り物を自分のものだと

思い込んでしまうから生き方が

分からなくなってしまうのだ」

 

「宝の持ち腐れ」ということわざがあります。

せっかく役に立つものを持ちながら、活用しないまま

無駄にしまっておく事です。

 

私達人間は皆、生き方、つまり「悟り」を知ってはいるのです。

しかし心の霧がそれを邪魔します

その見えない霧の中に仏道という「悟り」に通じる

生き方の道標が照らし出されています。

それを利用するかしないか、生かすも殺すも私達次第なのです。


つまり、得体の知れない、ほとんどの人が近付く事も出来ない境地が

「悟り」なのではなく、日々自分自身の心と向き合い「覚悟」を

深めて行く事こそ「悟り」を実現する道なのです

 

ただ、妄想・執着、つまり貪りや怒りなどの煩悩があるために

智慧と慈悲とが一つにならないだけだと言われるのです。

 

塾長の言う以上のような言葉を神道で考えてみるとやはりこの

『心の霧』というのが、『異心(ことごころ)』である。

古事記にはこの異心、心の霧をエピソードとして、

スサノオノミコトの高天原でのこと、中つ国のことすべて重なる。

 

常に、禊により、身を清め、正直にし、明るく、生きことが

毎日毎日祓い清めることが、大事。を思い起こしました。

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